二人の恩人へ―追悼―

会長 長島榮一

 仙台フィルの聴衆にとって二人の恩人の訃報がめぐり大きな悲しみを感じるとともに、その業績に感謝の念が沸きあがってきます。

 外山雄三さんは平成元年(1989)から平成18年(2006)まで音楽監督を務められました。今年7月11日に慢性腎臓病のため92歳でお亡くなりになりました。最晩年まで指揮をされ、ステージ上でも不調を押して指揮することもあったと聴いています。関係者に聞くと、「練習は厳しかった」、「いやみ言われたっけな」、「耳が違う砂浜に針1本落ちても聞こえるだろう」「演奏の後の一言がいやだった」等々、しかし聴衆の側から見ると仙台フィルを大きく鍛え上げた、オーケストラらしいオーケストラに育てた指揮者として映ります。厳しいオーケストラビルダーの役割を果たした先生に見えてきます。実は彼はオーケストラの「音楽監督」です。仙台フィルにとって最後の「音楽監督」であったのです。前任の芥川也寸志さんから引き継いでの二人目ですが、その後は音楽監督は任命されていないのです。

 外山さんが音楽監督として設立15年程のオーケストラをどう見て、どう育てるのか。聴衆に全ての責任を持って、音楽を提供する立場にあったのです。厳しくて当然だったのではないでしょうか。仙台フィルの初めてのヨーロッパ公演で、リンツやウィーンの聴衆が感嘆した様子で拍手をしていた姿は、外山さんが目指した音楽が本物だったことを証明していたと思えてならないのです。

 飯守泰次郎さんは平成29年(2018)から令和5年(2023)まで常任指揮者を務められました。今年8月15日に急性心不全のため82歳でお亡くなりになりました。昨年まで指揮姿が見られたのは本当に幸せでした。音楽番組で奥田佳道さんが「私の指揮に合わせないでください。もっと・・・」という逸話を紹介しています。高みを目指した、それを知っている指揮者だったのでしょう。SPCがインタビュー(会報フィルハーモニークラブvol.66 2019)した際に印象深い言葉を残しています。
「演奏家も指揮者も本当の仕事は、作曲家が書いた音楽と心をきちんと再現することです」
飯守さんが示してくれたベートーベンやブルックナーには重みのある意味が入っていたように想い出されます。

 半年ほど前の3月、仙台フィル定期演奏会でブルックナーの交響曲第7番を振り切って聴衆の前に何回も現れたのは、常任指揮者退任の挨拶だったのでしょうが、最後に袖で車椅子姿で手を振っていたのが最後のお別れの姿になるとは思いませんでした。出来ればワーグナーを合唱付きで聴いてみたかったです。仙台の聴衆にきっと新たな世界を伝えてくれたことでしょう。

 私が共感し、今を生きることを勇気付けてくれるのは、先ほどのインタビューの中で「できるできないは二の次、理論よりも実践、そうやって能力は伸びてくる、力がついてくるのです。私はずっとそのやり方でやってきましたが、どの世界でも大切な事ではないでしょうか。」と語ったことです。

 お二人の恩人に謹んで哀悼の意を表し、ご冥福を心からお祈り申し上げます。

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