演奏曲
コダーイ ガランタ舞曲、ハンガリー民謡「くじゃく」による変奏曲
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番
当日のプログラムノート・奥田佳道さんの文章に目が留まった。「…スターリンの意向である。従わない場合、命の保証はない。」、今でも世界の国の中には国家や個人、軍や党の意向に反すれば命が奪われる国が存在する。一つの価値観を内外に押し付け、他国にも武力行使する国もある。このような圧政と戦争の果てに何があるかを日本人は痛いほど知っている。
民族の個性(音楽)を記録したコダーイの曲はハンガリーやスロバキアの音楽を尊重した結果であり、その国や土地の人々築いた文化が存在することを証明し、他の国が消し去ることができないことを示している。バルト三国の中のエストニアがソ連時代に全国規模の歌と踊りの祭典となる歌謡祭を続け、歌と言語を通じて、エストニアの個性、存在を守り抜いたことを忘れるべきではない。いくら都合の良い移民政策で他国の人々が入り込んでも、将来の地域紛争の種を巻いていることでしかない。
バルトークの明るく軽快な響きはそこで築かれた楽しみや民族の尊重に繋がる大きな功績である。
プログラムノートにショスタコーヴィチの交響曲第5番は「闘争から勝利へ、苦悩から歓喜へという社会主義リアリズムの美学に沿った」と評価されやすいが、そうではないとの見解も紹介されている。私には重い世界、命が大切にされないショスタコーヴィチを取り巻く当時の状況(※)から解放されることを信じた讃歌のように聴こえる。決して政治の勝利、ある思想の勝利を語ったものではなく、長い人生の中で幸せへの帰結を目指した励ましではないのだろうか。曲から伝わる個人の力強くしたたかな歩みが、平和に繋がる道であってほしいと心から願った。(№45.長島)
※
姉マリア(中央アジアへ追放)
叔父コストルキン(処刑)
義母ヴァイザル(強制収容所へ収監)
元愛人コンスタンチノフスカヤ(逮捕)
作詞者コルニーロフ(処刑)
台本作者ピオトロフスキイ(処刑)
友人(元帥)テゥハチェフスキイ(銃殺)
友人(芸術家)メイエルホリド(銃殺)