長島榮一
『アイリスオーヤマクラッシクスペシャル2025
広上淳一×仙台フィル 王道か異端か
20255.21 サントリーホール 』
初夏の風の中東京で仙台フィルのマーラーの交響曲第1番「巨人」を聴いた。これまで聴いていた仙台フィルのマーラー演奏とは、根本的に違って聴こえた。ある会員が「青文で聴くのとサントリーで聴くのとはもはや別の曲ですね。」という感想に表れている。これはホールでの音がいい、響きが長いなどとは違った空間がつくられたということではないか。各楽器の音やそのバランスがクリアーに聴き取れる、楽器一本でも音の美しさや表現の凄みが伝わってくる、コントラバスとチェロの演奏も明瞭に分離して聴こえてくるなど、仙台の本拠地である青年文化センターでの壁際や後方の席で響きが豊かすぎて音が過度に重なりすぎたり、仙台市内のとあるホールのように一階中央でもコントラバスの音が聴こえてこないなど反響が一定ではない弊害を乗り越えたホールがサントリーホールなのだろう。
『第149回さいたま定期演奏会 日本フィルハーモニー交響楽団
20255.24 大宮ソニックシティ大ホール 』
サントリーホールでのコンサートと同じ週内に交響曲第5番をカーチュン・ウォン指揮で聴いた。2500席ほどの多目的ホールでの演奏。ホールは広いが、ロビーは狭く、開演前のウェルカム演奏も階段の下である。演奏はオーケストラの個人技が素晴らしい。プログラム前半で演奏されたヴァイオリン協奏曲の独奏の音が遠く、絶え絶えに聞こえてくる。オーケストラの音も遠く弱々しい。しかしマーラーの交響曲第5番になって一変した。
先ほどまでと違いフルート、オーボエ、ホルンなど物足りなさを感じさせない立派な表現と音量が手元に伝わってくる。これは個人技の卓越だけではない、オーケストラ全体での演奏の質を変化させた効果なのだろうと思った。この多目的ホールで前半の曲との対応の変化が出来るオーケストラが素晴らしい。ホールの難点を克服した「対応力」だろう。 イズミティ21でゲルギエフ指揮のミュンヘンフィルハーモニーで聴いた演奏にも感じた「対応力」である。ホールの良しあしをオーケストラが克服することもできるのだろう。